北加賀屋エリアのクロニクル
農村から造船のまちへ、これからはアートの発信地へ
「クリエイティブセンター大阪」が所在する北加賀屋の地はかつて海であり、江戸時代に新田として開墾されました。
日本が文明開化を迎え、大正時代に入ると、このエリアも近代化を推進する重厚長大産業の集積地へと変化を遂げました。
第二次世界大戦後、造船業を中心とした工業で復興した北加賀屋ですが、社会情勢が変化するにつれ、次第にまちの様子も変わってきました。
現在は、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された名村造船場跡地を中心に、アートを発信するまちへと生まれ変わりつつあります。
| 社会情勢と木津川周辺 | 時代変異 | クリエイティブセンター大阪の敷地 | ||
| 江戸時代 | 1745年 | ●大阪船場の両替商、加賀屋甚兵衛(初代)が見立新田(後の加賀屋新田)を開発。 | ||
| 1755年 | ●「加賀屋新田」と命名。加賀屋新田は、以後も増墾が続けられ、三代目甚兵衛の時代に大部分の開発が終了。![]() 1839(天保10)年「新田細見図」 木津川河口に「加賀屋」の記載が見られる。 |
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| 明治天皇即位 | 1868年 | 明治時代 | ||
| 1879年 | ●三代目甚兵衛の開発にあたる土地68町歩(約20万4000坪)を、芝川又右衛門(千島土地(株)創業者)が芝田重三郎より譲渡 | |||
| 大日本帝国憲法公布 | 1889年 | |||
| 日清戦争 | 1894年 | 往昔の海岸線と難波八十島、新田 (「大阪建設史夜話」p.90より) |
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| 八幡製鉄所が操業開始 | 1901年 | |||
| 日露戦争 | 1904年 | |||
| 大正天皇即位 | 1912年 | 大正時代 | 1912年 | ●千島土地株式会社 設立 |
| 1913年 | ●加賀屋の土地が千島土地の所有となる | |||
| 第一次世界大戦 ●世界的な船舶不足に見舞われ、木津川筋にも造船所の建設ラッシュ |
1914年 | |||
| 1916年 | ●加賀屋新田の小作地引き上げ開始 | |||
| 1917年 | ●造船事業の兼営に乗り出した大阪窯業株式会社が北加賀屋に工場を新設 | |||
| 大戦終了後の反動恐慌 ●造船所が相次ぎ、倒産 |
1920年 | ![]() 「大大阪全図」 (大正9年発行) 数年間に多数の工場が進出 木津川左岸には村尾造船、高橋造船、千本松造船、福家造船、 大阪窯業造船、藤永田造船所の名が見られる。 |
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| 昭和天皇即位 | 1926年 | 昭和時代 | ||
| 満州事変 | 1931年 | 1931年 | ●(株)名村造船所と千島土地(株)が、土地賃借契約を締結 | |
| 上海事変 ●軍需産業の上向きとともに木津川筋にも工場の進出・生産の増加 |
1932年 | |||
| 太平洋戦争勃発 | 1941年 | |||
| 第二次世界大戦終結 | 1945年 | |||
| 朝鮮戦争勃発 ●戦争特需による経済成長と共に造船業も復興 ●この頃、「木津川三社」(佐野安船渠(株)、(株)名村造船所、(株)藤永田造船所)は造船業で隆盛 |
1950年 | |||
| 東京オリンピック開幕 | 1964年 | 昭和38年測量結果編図(昭和49年8月版)木津川三社:佐野安、名村、藤永田の社名を伺うことができる。 |
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| 大阪万博開催 | 1970年 | |||
| 第一次オイルショック ●国際情勢の変化と共に造船業界にも再編成が波及 |
1973年 | 1973年 | ●(株)名村造船所、船舶の大型化に対応するため、佐賀県伊万里に新工場を建設 | |
| 1979年 | ●名村造船所大阪工場、新造船建造から撤退 修繕船部門の名村重機船渠(株)が大阪で操業を続ける |
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| 1988年 | ●58年間の土地賃貸が解約に至り、名村重機船渠(株)より現状有姿で借地が千島土地(株)に返還される![]() 住之江区-西成区木津川左岸 現況(2006年6月) 藤永田(昭和42年より三井造船(株)藤永田造船所)は、昭和56年に新造船建造から撤退し、 現在は佐野安(現・サノヤス・ヒシノ明昌)の修繕船部門が残るのみである。 この後のあゆみについては、「創造的なまちへのあゆみ」をご覧ください。 |
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